子どもと関われる人生っていい

子どもと関われる人生っていい

今年から次男がプレ幼稚園に行き出し、
子どもと離れて自分のことに目を向ける時間が増えてきた。

10年後、20年後を見据えて「私は何をしていたいだろうか」と考えた時に、真っ先に頭に浮かんだのは「子育て、ずっとしていたいなあ」である。
(※妊娠出産含め、子育てのリアルな大変さは勿論すっぽ抜けて言ってる)

しかし年齢的にも体力的にも、何人も子どもを望むのは現実的ではない。

それに、私は何を持って「ずっと子育てしたい」と思うのか。整理していきたい。

子どもよりも自己成長

私には四つ下に妹がいる。
なので幼少期はよく年下の子と遊んでいたし、親曰く面倒見もいい方だったらしい。

しかし中学生頃〜自分の妊娠が分かるまで「子ども」という存在に興味が無かった。
それよりも部活や友人関係、仕事への興味が勝り、自分にばかり目が向いていた。

決して子どもが嫌いだったわけではない。
でもこんな言い方は申し訳ないが興味が無かったのである。

興味があったのは「自分の成長」であった。

「子ども」のイメージが変わる

そんな私に長男が生まれた。
やはり自分の子はかわいいもので、親バカも炸裂。

もちろん寝なかったり、ギャン泣きしたり大変なことだらけだったが、
成長する我が子をみていて感じたのは、
子ども=可愛いく、か弱い生命体ではない」ということだった。

ではなんなのか。

一言で表すなら「尊い生き物」である。

何を当たり前の事を、と思うかもしれないが本当に尊いのだ。

この小さい体の中に、生きて成長する力が詰め込まれている。
大人はそれをフォローするだけなのだ。

気付けば歩いてるし、言葉も習得している。そしてその成長過程を観察するのが本当に面白い。

例えば、
図鑑に書いてあるりんごと、実物を交互に指差して「あ!あ!」と尋ねてくる
→何度も「りんご。同じ。りんご。」と伝えると満足気
→数日後にはりんごを指さして「ご!んご!」と「りんご」である事をアピールする

この過程だけでも感動してしまう。

子どもを通して見える世界

育児は、大袈裟に言うと「自分の人生を捧げ、自分を消費して行う事」と思っていた。
しかしとんでもない。

育児をする事で培われるものは多く、見えなかった世界が見えてくる。
子どもという尊い存在を通して、自分の人生も豊かなものになっていると強く感じる。

もちろんそれは、人それぞれ色んな捉え方ではあると思う。

私は元々好奇心が旺盛で、新しい世界を覗くのが好きな性格だからか、
新しい発見、学びをくれる子どもと関わることがとても好きなのかもしれない。

だから結局のところ「自分の成長」に通じるのである。

大変さを知っているからこそ、出来ることがある

そしてもう一つ、子どもと関わっていたい思いには別の理由もある。

私は育児を始めてまだたったの4年半だが、沢山の人に助けられてきた。

・道路で子どもが癇癪を起こせば近所の人が家から出てきてお菓子をくれた

・子どもが初めて行く場所を嫌がるために、家で孤独に遊んでいると
私を心配してママ友たちが家まで来てくれた

・子ども2人のイヤイヤを対応してる時に通りすがりのご老人が「よくやってるわ。偉いわ。」とフォローしてくれながら、子ども達の頭を撫でてくれた

・子供の発達を心配していたときに、支援センターの方々やママ友、幼稚園の先生方が親身に相談に乗ってくれた

などなど

地域の人々、そして今まで住んできた場所で出来たママ友と、
その子ども達にはとても助けられてきた。
(ママになる前からのお友だちはもちろんのこと!)

書き出したらきりがないけど、家族だけではここまで来れなかったなあと思う。
(もちろん家族は誰よりも理解がある!その点はまた別の機会に書きたい。)

地域の温かい目と言葉で、私はなんとか前向きに育児をしてこれた。
いつしか私もそういう人になりたいと思うようになっていた。

子どもを通して、ずっと自分も成長していたいし、
尊いはずの子育てに苦しみを感じている人がいるなら声をかけたい。

泣いてる子や不満そうな子がいたら、とことん話を聞いてみたいし、
悩んでるママさんパパさんがいたらそっと寄り添いたい。

私が漠然と「子育て、ずっとしていたいなあ」と思うのは、
子どもを通して見る世界の素晴らしさと、厳しさを知ったからなのだ。

さて、これから私には何ができるのか。

身をもって感じている今だからできることがあるはずだ。
(新鮮!フレッシュ!)

すぐに出来ることは、
・ここでの発信
・困ってる人に声をかける

長期的には・・・
・模索中

である。その過程も含め、発信していきたい。


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